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 当該のページは、 0003738番目 (2013/01/12~) 更新日(2013/10/03) 『 kiho-P161
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2012.09 東北 大震災 支援 復興 ボランティア活動

宮城県、仙台市、名取市。

 

・2012年9月(H24.09.10~H24.10.01)-合計22日間。

・ボランティア活動の22日間のうち、途中の2日間は、宮城県仙台以北の海岸沿い(石巻市門脇町、奥松島、松島、仙台市七ヶ浜、荒浜、名取市閖上など)の被災地の状況をバイクで実際に見てきました。- 追記:2013/02/03

1)事前準備-1: 
     ・使用バイクは、購入以来26年間、ずっと、整備してきた、「 ヤマハ YD250 」 です。

2)事前準備-2: 
     ・ボランティア活動をする前に、2012(H24)/03/31、宮城県、仙台市の荒浜、名取市の閖上(ゆりあげ)の現状を、神奈川県から夫婦等で事前に見に来ていて、被災地の状況を概略掴んできていました。

3)事前準備-3:
     ・ボランティア活動用に事前に、このYD250を、その後、半年かけて、「 ツーリング装備 」 してきました。(2013/2/18追記)

 

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東北大震災支援復興ボランティア活動

 

2012(H24)/10/05記: 2012(H24)/10/12追記: 2012(H24)/10/22追記。

 

1)東北大震災ボランティア活動、遅まきながらやっとのことで、ついに参加:

去年の東北大震災(H23.3.11)以来、何としてでも、行きたかった、東北大震災ボランティア活動で、下記のように準備を進めてきました。今回、やっと、思い切って、H24/9/10~H24/10/01の21日間、東北、仙台に、被災地ボランティ活動に個人的にひとりで行ってきました。

 

2)バイクは神奈川県から仙台まで往復陸送で:

但し、女房殿との関係で、神奈川県から宮城県仙台まで(片道400km、高速道路走行は怖いので下の道路で数日間かけてテント泊しながら移動お当初予定)のバイクでの移動に大反対の女房殿との折り合いで、神奈川県から、宮城県仙台までは、バイク、YD250は、往復とも、陸送(BAS社:厚木支店デポから仙台支店デポ間)利用で、私自身は単身、新幹線で往復の条件で行きました。

 

3)ボランティア活動参加について:

ボランティア募集をインタネットの検索エンジンで探し、出てきた、西本願寺さんのホームページでボランティア募集中(西本願寺、「仙台別院」(仙台市青葉区支倉町1番27号)内、ボランティア センター)のページを見て、ホームページに用意された(宗教、宗派、老若男女、年齢不問の)webでの「ボランティア募集」に登録して、西本願寺「仙台別院」で3週間宿泊(「衣食住」のうち「住」は無料)させてもらいました。

 

4)ご参考(西本願寺 「仙台別院」内、「ボランティア センター」のこと):

参加に際しては、常識的な、いろいろな守るべき規約はありますが、無料で、泊まるところ(男女棟別部屋別)も、布団類(数十(50~70?)人分)も、シャワー(風呂形式一室、ひとり15分(紙に順番登録制)も、洗濯機(1台共同利用)も、乾燥機(1台共同利用)も、炊事場(共同利用、調味料、皿、やかん、鍋、箸、スプーン、フォークなど多数(ボランティアのひとびとが帰る際に寄付?)、共同のミーティングルームには、テレビ1台、インタネットできるデスクパソコン1台(共同利用)、別院敷地内無線LAN、あり、など、大助かりでした。また、数に限りがありますが、長靴、防塵マスク、ヘルメット、等々、無料で、災害用装備を忘却したボランティアさんに貸出してくれています。仙台別院からボランティア活動の作業場までの数十人のボランティアさんの移送は基本的に、車も運転手もボランティアセンターのスタッフさんたちが無償で支援してくれます。

前日午後6時にミーティング(全員出席)、その席で翌日の行く先(希望者は申し出)をボランティア センタの方が人数調整して選定してくれます。行く先の場所も車(共同利用複数台)が概略充当されます。

結局、下記で用意した装備は必要なものだけ(JAFに加入し、一応のバイクの修理道具や、衣類の着替え、津波災害復興用の各個人が着るのに必要な「ボランティア装備」、など中心に)持参しました。

 

5)今回参加したボランティア活動の主な仕事:

ボランティア活動の内容は「力仕事」(流入物の除去、流出した1階部分を修理するための1F部分の床下ヘドロ除去などを含む壁、床、などの、解体作業、畑(津波での塩害の田んぼを、綿の栽培に転向している農家の畑の雑草や流入物除去の支援、)や、「精神的支援」(お茶会などの、傾聴活動)など、いろいろでした。

fig.2-01 仙台市、荒浜地域の田畑で、流入物除去作業。横一列に、ひとりシャベルの柄の長さの幅の分だけを分担。(2012/09/13 Coolpix P5000で撮影)

 

 

fig.2-02 仙台市荒浜地域。綿の花の間に生えた強烈な雑草の除去作業。: 

元は田圃(たんぼ)でした。塩害で田圃は無理なので、塩害に強く、かつ土質減塩化機能のある「綿畑」に試行改装中。最初は大きな流入物除去(国、ほか)、次に多くのボランティアの手による小さな瓦礫、材木、ガラス、釘、陶器などの流入物除去が一旦終了。次に綿の苗植えでボランティアの皆様により、一度目は手蒔きしたが苗は全滅、二度目は機械蒔きでやはり全滅、三度目は手蒔き、で半分成功した。しかし、綿の苗(70センチ間隔、現在の苗木の成長は高さ50センチくらい)の間に根の深い雑草がたくさん茂り、苗木の枯れるものが多く、今回は、綿の苗の間の雑草刈りが仕事。広さは、農家一軒あたり平均一町歩(10反、1ヘクタール:100m×100m)? 農業を諦める農家と、まだ決断がついていない農家、その土地に戻り農業を続ける決意(家屋流失や家族の不幸を乗り越えて戻る決意)した農家の方などいろいろあるが、土地改良にはすごく広く作業がなかなか進まないので長い年月が掛かりそうです。(2012/09/11。Coolpix P5000 撮影)

 

 

 

fig.2-03 (左:ゴーグル):仙台市 荒浜 流入物除去作業 (2012/09/18 Coolpix P5000)。

fig.2-04 (右:作業用の分厚い皮の軍手):仙台市 荒浜 流入物除去時、分厚い皮の軍手を使用して、シャベルのスコップの長さ分だけを地面に突き刺し流入物除去のために土を掘り起こそうしても突き刺さらず。やむを得ず、スコップの柄の左右の鉄の上に、釘踏み防止の下敷を長靴の中に入れたその長靴を履いたまま乗っかり自らの体重をかけさらにその上でのジャンプの反動で地面に突き刺そうとすれども刺さらず。一日の終わりに気が付くと、軍手を通して手のひらの皮膚が裂けて少々出血していました。(長靴は私が持参したもの(下記 Fig.1-08 )は使い辛かったので、本願寺さんの常備されている長靴を利用させて頂きました。)

 

 

fig.2-05 名取市閖上(ゆりあげ)地域からの被災者用仮設住宅の集会所でのお茶会(傾聴中心)。手前のバイクはYD250.(2012/09/20。Coolpix P5000で撮影)

 

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6)その他のボランティア活動。(被災者無料招待での、公演のお手伝い):

今回、私どもが参加させていただいた、力仕事の主な作業場所は、仙台市や名取市の海岸(仙台市、荒浜、名取市、閖上(ゆりあげ))で、精神的作業(傾聴、お茶会)場所は、名取(なとり。閖上(ゆりあげ)被災者仮設住宅)でした。

一方、ボランティアのなかであくまで任意参加ですが、千数百人が入れる大きな劇場で、観客の一部に、被災者仮設の方々を無料で招待されている、劇(『親鸞 わが心のアジャセ』:仙台市泉区役所隣の「イズミティ21」で公演)の舞台裏(舞台装備搬入搬出、劇場内観客誘導など)のお手伝いのボランティアに参加していきました。私は観客誘導の終わった合間に劇を見ることができました。東京に開催されたときはご縁が整わず見ることができなくて、今回最終公演の仙台で、ぜひとも見たかった劇でした。すばらしい劇に、何度も涙を落としました。

fig.2-06 親鸞 わが心のアジャセ(阿闍世(漢語):Ajāta-Śatru (sanskrit語)。仙台市泉区役所隣の「イズミティ21」で2012/09/21公演。(パンフをD200で撮影)

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7)自分の目で仙台以外の被災地の状況把握:

3週間のボランティア活動中、週に二日間(主に土日)程度の割合で休みを頂き、個人的に、持参したバイクYD250で、行きは仙台から、石巻へ、帰りは石巻から東海岸沿いに仙台まで、海岸付近の被災地の状況を2回、被災地の状況を自分の目で見て回りました。バイクでの、現地、走行距離数は、現地仙台デポ陸送着当時、 24,248km ⇒ 現地仙台デポ陸送発当時、24,537kmの、差の、主に日帰り二日間で、約300km走行でした。下記写真は仙台別院車庫から石巻へ出発直前の様子。

 

fig.2-07 仙台別院の車庫から石巻へバイクツーリング前。(2012/09/16 Coolpix P5000)

場所的には、YD250で、本願寺仙台別院から、石巻、東松島、松島、の各海岸沿い、宮城郡七ヶ浜町「七ヶ浜町ボランティア センター」(スタッフのひとり、復興支援コーディネーター竹中昇子さんとも雑談)、仙台近くの海岸(荒浜、閖上(ゆりあげ))等々、名取市仮設住宅地近傍、、各地の田畑、住宅地、寺院、学校、病院、などの、被災状況を見て回りました。見ることができたのは東北大震災の、ほんの一部です。

fig.2-08 仙台別院からYD250で三陸自動車道を利用して石巻市門脇町の小学校(移転中)を撮る。写真のすぐ右手のそばに、被災で法務員僧侶が亡くなった浄土真宗本願寺派「称法寺」がある。バイクの後方には、1階部分が壊滅的被害を受けた石巻市立病院がある。(2012/09/16。D200+DX18-70/3.5-4.5Gで撮影。)

 

fig.2-09 石巻市門脇町 浄土真宗本願寺派「称法寺」 本堂(2012/09/16。D200+DX18-70/3.5-4.5G撮影。)

 

fig.2-10 「称法寺」 ご住職 (2012/09/16。D200+DX18-70/3.5-4.5G。)

 

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8)メディアの、被災地報道関係について:

 

fig.2-09 『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』マーティン・ファクラー、双葉新書\800+税、(2012/7/8第1刷、2012/10/01 第8刷)。  (2012/10/22。D200+Ais55/2.8Sで撮影)。

帰宅後、ご縁で上記の本を買い読みました。上記の帶の末端の文言:『「3.11と新聞の敗北」の裏側』:「東北大震災」の日本の新聞社などの取材の方法や、日本独特の「記者クラブ」の存在などがアメリカ人の記者、マーティン・ファクラー氏(ニューヨークタイムズ東京特派員)の目からみて批判的に書かれています。気になりました。

私はこれを読んで、第二次世界大戦(大東亜戦争)の「大本営発表」の当時の日本の新聞社などの取材の対応と、現在の主力のメディアの対応の方法が、非常によく似ているように感じました。

将来、日本が軍拡競争や、世界との戦争に突入しないためには、時の権力者、政治家、軍部、軍需産業の業界、また、お国のために死んでこいと、付和雷同する町の隣組などの一方的な情報操作の存在には気を付けたいですね。子孫のためにいつまでも平和でありますように。

 

9)今回の活動を終えて:

ボランティア活動を通じて、私の今までのメディアなどでの東北大震災で感じていた常識が変わりました。

顔も腕も真っ黒になった私を見て、女房殿は驚いていました。(笑い)

帰宅直後、自宅で、微熱(37.5度)が出て1週間ほど寝ていました。発熱直後、近くのいつもの病院に行くと、老医師先生は、のども、咳も、胃腸も、鼻水なども無し、ただ熱だけ。今、はやりの風邪ではありませんね。原因不明です。と。(笑い) 。今回のボランティア活動によるものでしょうか。加齢によるものか、または長旅(3週間)の疲れからかでしょうか。年齢は取りたくないものです。(笑い)

今回は、ボランティア活動が主であり、本格的なツーリングとは言えません。バイクは陸送なので。でも、、、

バイク、YD250での高速道路走行は定年前後から十数年間、危険回避のため、乗るのを避けてきていましたが、今回、仙台から石巻までの「三陸自動車道」(「利府JCT」~「鳴瀬奥松島」間)を2回ほど往復して、昔の高速道路走行の、「勘」を取り戻せた気がします。

YD250がもう少し速く走れればいいのですが、、時速80kmが私の運転の、このバイクでの限界です。(笑い) 

また物欲、煩悩が生じてきました。 もっと速く走れる大型のバイクが欲しい、、、と。 

今のバイク、13台目、YD250は買ってから丸26年間、乗っています。今度、もし次のバイクを買うとするとバイクは14台目になります。 親鸞聖人曰く、「罪悪深重、煩悩熾盛の凡夫」(ざいあくじんじゅう、ぼんのうしじょうのぼんぷ)、、、、と。(笑い)。  女房殿の目じりのつりあがったような顔が私の目に浮かびます、、、(笑い)

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10)帰宅後、YD250のトラブル発覚:

私(10/01)よりもバイク陸送で遅れて帰宅(10/09)したバイクに昨日(H24/10/20)、乗りましたら自宅車庫から出すときに後輪がすでにパンクしていました。チューブの空気を入れる口金のまわりのゴムに亀裂が入っていました。ただ、バイクが仙台から到着した当日(10/09)陸送BAS社の神奈川県厚木支店デポから片道23kmを乗って相模原に帰宅したときはバイクに異常はありませんでした。

昨年一年間、自治会三役の役員を受けて、自治会活動が非常に忙しくて、バイクをほとんど乗っていなかった間に空気圧が自然と減ってきてパンクにつながったのでしょうか。仙台に陸送する直前には適切な空気圧にしてから陸送はしましたが。

前後輪とも、チューブ内蔵のタイプですが、タイヤ自体は前後輪とも、チューブレスタイヤを履いていました。なんとかバイクを運んで修理に持って行った近所のバイク屋さん曰く、『仙台市から石巻市までの高速道路(三陸自動車道)などの走行中でなくて良かったですね。命拾いをしましたね。』と。

バイク屋さんに、ついでに、大事な「予防保守」の意味を含めて、キャブレターや、レクチファイア・レギュレータ、前後輪タイヤ(今までと同じくチューブレス用タイヤ)、前後輪チューブなどの、すべて新規部品の交換を依頼をしてきました。なにせ、このバイクは13台目で、昭和61/09に新車で購入後、26年(走行距離は少なくて 24,500km)経っているロートル二輪車です。乗り手の私と同じ、前期高齢者?ですので。大切にしたいです。

バイクの神奈川県から宮城県仙台までの片道400km、往復800kmの移動を、女房殿の仰せのとおり往復とも陸送にしていてよかったです。もし、下の道をテント泊しながらツーリングして、途中、高速道路を利用するなどしていたら危なかったです。自分だけではなく、まわりのひとびとをも巻き込む可能性があります。つらつら思うに、大きな事故には結びつかずに本当に、良かったものです。

帰宅後のバイクのパンクは考え方によっては不幸中の幸いです。帰宅後パンクするは、仏さまから、『因と縁により今の果がある。(「縁起の法」。業因業果)。「輝峰(きほう)よ、気づけよ」』、とのお告げかも。好き勝手に解釈すれば、私の、今日の生きて、命有るのは、女房殿と、阿彌陀さま(「攝取不捨」(せっしゅふしゃ))のお蔭? 感謝感謝。南無阿彌陀佛 合掌。(笑い)

 

11)YD250での燃費:

今回のボランティア活動ではYD250での運転した走行距離は約300km強、燃費は約32km/リットルでした。

帰宅後、バイクの方は予防保守のために整備と修理が完了し、タイヤも前後輪とも一新して道路のグリップ性が初期の状態に復元し大変好調です。(2012/11/09 追記)

 

12)YD250の電装回路図追加(ご参考):

今回のYD250電装系改造の説明のために、サービスマニュアルの一部、YD250の電装回路図や、使用した工具、部品などを下記 「 ツーリング装備 」の最下段に、追記しました。

 



                                                    以上


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