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 当該のページは、 0005220 番目 (2013/02/03~) 更新日(2013/05/09) 『 kiho-P163
 全体のページは、 1920520番目 (1997/04/01~)


東北大震災、被災地 復興支援、歌、CD、

宮城県白石市、作詞作曲家:菊池嘉雄、

法然上人

『法然物語』 など

他に、

・音楽物語 「真田幸村の子供たち」

・イラスト入り新田園ソング 「蛍幻夜」

・組曲 「里山風景~オカリナと琴のための組曲~」 など

 

ご参考まで:法然上人の、岡山の「誕生寺」(生誕地)、や、京都の「勝林院」(大原問答)の、「阿弥陀如来像」

 

1.「法然物語」:

 1) 歌曲集「法然物語」~浄土宗を開いた人の前半生~

歌曲『法然物語』の、作詞作曲家 菊池嘉雄さん

 

下記掲載内容については、著作権者、作詞作曲家 菊池嘉雄さん、の、ご了解を得ています。

 

菊池嘉雄さんは、定年退職後から、「地域に根ざす作曲活動と講演活動」 を続けていらっしゃって、東北大震災支援復興など被災地、被災者の方のためにも支援の努力されています。

例えば、菊池嘉雄さんは、すでに輝峰のページで、H25/3にご紹介しました、仮設住宅にて被災地支援復興のための活動中の作詞家 高橋久子さんの歌、閖上に帰ってこいよ』の作曲もなされています。

一方、菊池嘉雄 さんは、地元の自然、里山、などの紹介、昔、豊穣の里であった、地域の、農業再生、地区の新しいあり方、自然保存、地域資源、の保全活動、などを通じての作曲活動の状況が、ネットの音楽映像が無料で視聴できるページ、 「 YouTube 2525g3 」、をお持ちです。ぜひご覧ください。

 

このページでは、菊池嘉雄さんの作詞作曲の歌曲、『法然物語』をご紹介します。輝峰(きほう)は初めてこの歌曲を聞いたとき涙が出てきて感動しました。

『法然物語』の最初の方の画面

●そのまま見る場合: 「法然物語」 動画 YouTube (菊池嘉雄 さんがアップ。ご紹介です。)

●PCにダウンロードしてから見る場合。

  (下記 *.wmvのファイル名の上にカーソルを置いて、「右クリック」し、表示されたメニューの中から、「名前を付けてリンク先を保存」(Google_Chrome、windows 7)や、「対象をファイルに保存」(インターネットエクスプローラ(I.E.)、Vista)などの「保存」を選んでクリックし任意の保存名をつけて任意のフォルダを指定するとそのフォルダにダウンロードされます。但し、ファイルの容量が大きいので通信速度が遅いPCの方はご留意ください。ダウンロードに時間が掛かります(輝峰(きほう)のauひかり(1GHz)接続のPCの場合だと、実験:2013/04/16-09:52am、約51秒)。ダウンロードされ保存されたファイルの動画をクリックして再生してください。)

  ⇒ボランティアで少しでも多くのひとびとに広めてくだされば幸甚です。
     ただし、営業用に利用するのは禁止です。著作権者、菊池嘉雄さん。

   「法然物語」動画 honen_01.wmv  (464MB) 。(提供を受けたオリジナルテープより作成。)。

 

下記は、歌曲集『法然物語』の 歌詞の部分です。

 

2) 法然上人、岡山県 美作(みまさか)国 『誕生寺』 ご紹介~ (ご参考までに。)

 

  輝峰(きほう)は、この歌曲を聞いて、同じように感激した、現役時代の親しい知人と3人で、共通の先輩の広島県の墓参の帰路に、H25/4/4~、この歌曲、『法然物語』に出てくる、法然上人の岡山県、美作(みまさか)の降誕の地に、熊谷直実が建てた、「誕生寺」(オフィシャルサイトご参考)を、実際に訪ねてきました。

(引用始め): 
 法然上人(1133~1212年)は、1133年(長承二)美作国久米南条稲岡庄【みまさかのくにくめなんじょういなおかのしょう】にご誕生された。
  父は久米押領使【おうりょうし:この地方の監督】漆間時国【うるまときくに】、母は秦氏【はたうじ】という。 漆間家の跡が今の誕生寺である。(途中略)。
 誕生寺は浄土宗他力念仏門の開祖法然上人降誕の聖地、建久四年(1193年)法力坊蓮生(熊谷直実(くまがいなおざね:1141~1207年)が、師法然上人の命を奉じこの地に来て上人誕生の旧邸を寺院に改めたもの、、、:(引用終わり)

 

誕生寺 阿弥陀堂。威風堂々としていますね。(本堂の方のご本尊は法然上人) (2013/04/04 撮影。D800+28/1.8G)

 

 

 

勢至丸(法然の幼名)は、仏教信仰の深い、父(久米の押領使(おうりょうし:地方の監督者、漆間時国氏)、稲岡庄の領所(あづかりどころ)の明石源内武者定明の夜襲を受けて、43歳で)の死後、母の弟である「高貴山 菩提寺」(美作より北へ40km)岡山県勝田郡奈義町高円1532)の住職、観覚上人のもとに引き取られていたが、観覚上人に偉才を認められ、比叡山に登って修行するために、一旦、現在の誕生寺のある、稲岡庄の里に帰ってきて、母に別れ告げて旅立った。右手の後ろは阿弥陀如来像。(2013/04/04 撮影。D800+28/1.8G)

 

誕生寺、阿弥陀堂のなかの、阿弥陀如来像(2013/04/04 撮影。D800+28/1.8G)

 

法然上人(圓光大師)、四十三歳のときの御尊像。作州(美作(みまさか)の別名)誕生寺
 (誕生寺パンフレットより。WEB掲載に、ご住職、漆間徳然ご住職の了承を頂いています)

 

美作国、誕生寺で頂いてきた参拝の朱印帳。法然上人二十五霊場納経帳(第一番霊場)
 (Coolpix P310 2013/04/15 撮影)

 

岡山県の誕生寺のあと、H25/4/4 ~4/6、京都の寺院で法然上人のゆかりの寺院をも時間の許されるかぎり、参拝してきました。

法然上人二十五霊場』 (法然上人の一生で見る | 法然上人二十五霊場)

 

たとえば、、

この歌曲『法然物語』に関する、ゆかりの寺院がこのHPで紹介できればいいですね。(ページは分けるかも知れませんが。つづく)

 

3) 法然上人、京都、三千院隣りの 『勝林院』 ご紹介~ (ご参考までに。)

京都の北の、三千院の奥の、第21番 『勝林院』 (阿弥陀如来像、法然 「大原問答」、天台宗、日本寺院等の「声明」(聲明:しょうみょう)の原点、一千年(一千年紀:H25/10/5-10/20) 続く寺院)、を参拝してきました。

 勝林院の前に掲げていました。(2013/4/6、Coolpix P310で撮影)

 

踏出(ふみだし)阿弥陀如来像

 

 

阿弥陀如来像(正面から。2013/4/6撮影。D800+28/1.8G)

 

 

左から撮影。(同日、D800+50/1.4G撮影)     右から撮影(同日、D800+50/1.4G撮影)

 

勝林院の阿弥陀如来像を、じっと見ていると、こころが癒されますね。他寺院の阿弥陀如来像よりもお優しそうなお顔に輝峰は感じられます。何十枚撮ったなかで一番お優しそうに見える写真を選びました。

(撮影と、輝峰のHPへのアップでご紹介の件はご住職(宝泉院と勝林院を兼務、藤井宏金様)の了承を得ています。)

「勝林院」は、法然上人の「大原問答」(おおはらもんどう、大原談義)で有名だけでなく、日本の仏教の多くの宗派(平安時代の天台系と、真言系の2種のうち、天台系から派生してきた各派の寺院)での、「声明」(しょうみょう)の起源の根源地の寺院で、今年(2013年)は、ちょうど、声明、千年の歴史の節目です。「魚山大原寺勝林院開創一千年紀」(2013(平成25)年10月5日~20日)開催。別ページで、「勝林院」のご紹介をしています。お時間のある方はご覧くださいませ。ご参考まで。

 

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2.菊池嘉雄さんのそのほかの、歌曲、「音楽物語 真田幸村の子供たち」 など:

 

菊池嘉雄さんの、「 YouTube 2525g3 」、のページのなかで、輝峰のトップページの中の「目次」の頁の最下段の方の「被災地」の欄)でもご紹介した、「閖上(ゆりあげ)へ帰ってこいよ」、(仮設住宅の皆さんの歌声)、や、「法然物語」 、以外で、個人的に、輝峰(きほう)が、感動した菊池嘉雄さんのページのいくつか、簡単にご紹介します。

 

01 音楽物語 「真田幸村の子供たち」 阿梅物語~真田幸村の子供たちの生涯。ライブ。すばらしい。このような生涯があったことを私は知りませんでした。琴、オカリナ、歌、いいですねえ。(語りの方は、作詞作曲家ご本人?)
02 イラスト入り新田園ソング 「蛍幻夜」 昔から現代への、田園の風景、ホタル、情緒一杯、絵と歌とで、こころが溶けてきました。昔に還(かえ)って懐かしさを感じます。
03 「里山風景~オカリナと琴のための組曲~」 オカリナと琴と、挿絵とが相俟(あいま)って、里山の光景、季節の変化、人も鳥も虫も、生きとし生ける者の「生死」(しょうじ)の「あるがまま」を描いている気がします。
04    

以上


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