土下座 ご訪問ありがとうございます。 006863 番目 (2006/03/07〜) 更新日(2008/10/20)  『 kiho-P085


今日も、一日、ありがとうございます。

「ご縁」 です

このページは、「ご縁を大切に」を意識しています。

感じるままに撮った写真です。


   
001

#004 ハッピー曰く、『もう、寝ようよ』
DSCN0001tr-s.JPG 2007/04/27-22:52撮影
買ったばかりのNikon Coolpix P5000 :ストロボ発光無し


  
それでもやめずにパソコンを使っていると、ついに、怒り出して爪をだしてひっかきにきます。
D200+DX_18-70/3.5-4.5G   2008/08/06 撮影



輝峰(きほう)が寝ると、安心して、ハッピーも寝に入ってきます。
Coolpix P5000  深夜夜中2008/10/09-04:44 am :ストロボ発光(赤目軽減)


#004:午後10時、先に寝に上がった女房殿から
『下へ降りておじさんに、夜更かしは健康によくないよ、パソコンはもうやめて
早く寝に上がりなさいと言っておいで』
と言われたハッピーは、すぐに下に降りてきて、
私がパソコンの電源を切って二階へ寝に上がるまで、
私のパソコンのそばで、少し爪を出して、
私の手や腕を「真剣に」ひっかきにきます。
本当にひっかきます。

私が寝にあがるとハッピーは私のふとんのなかの
私の身体と左腕の間に入ってきて
私の左腕をまくらにして安心して一緒に寝ます。


家猫は、四歳児の能力を持っているとどこか聞いたことがあります。
目の開かない生まれたばかりのときから哺乳瓶で育て、
人間と一緒に暮らしてきた雄、家猫6歳の
ハッピーは、本当に人間と同じ振る舞いをします。
もう立派な家族の一員です。


ふとハッピーは「誰」の生まれ変わりかしらと。
また、私の死後の次の生(しょう)は「猫」かしらとも。
ついつい、本来の仏教(「諸法無我」(下記参照))とは異なる
「輪廻転生」を思い浮かべてしまいました。
親鸞さんのずっと求められてきた
「生死出ずべき道(しょうじいずべきみち)」、
私が求めていくには先があまりにも遠そうです。

南無阿弥陀仏、 合掌。
写真追加:2008/10/20. 文追加:2007/5/6、

***************




#003 DSCN0130s.jpg 2006/12/08 −14:16
Nikon Coolpix 5700 1/8.1秒、F3.2 P-mode Fine ISO400 62mm相当 ストロボ無し

#003:同じ日の午後、今度は女房殿のスリッパをハッピーに失敬されました。
何か云いたいことある?とのハッピーの顔の表情です。(2007/1/4 付記)



#002 DSCN0129s.jpg 2006/12/08 −09:14
Nikon Coolpix 5700 1/8.4秒、F3.3 P-mode Fine ISO400 74mm相当 ストロボ無し

#002:寒い師走の午前中、私もスリッパをハッピーに奪われました。
座布団を側に置いてあげたのに、スリッパの方が人間みたいでいいとのことらしいです。
(2007/1/4 付記)



#001 DSC_0531/jpg 2006/3/7−08:19
Nikon D200+18-70/3.5-4.5G+ISO100+P_mode+Large+Normal_mode、1/60sec, F3.8、ストロボ


#001: 石油ファンヒータストーブの前の家猫『ハッピー』曰く
 『私にもスリッパを片方だけ貸して頂戴。彼岸前で、まだ寒い、足が冷たいです。』とのこと。
 結局、スリッパ片方を取られた女房殿は自分用に別のスリッパを持ってきて履きました。
 生まれたばかりの目の開く前から人間と哺乳瓶で生活し、人間と会話ができる、
 我が家の(家猫・哲学者アリストテレスこと)、「ハッピー」、雄猫5歳です。
 2006/3/7

***************

ゆったりした気分でご覧下さい。



---  記  ---

以下は仏教、儒教、キリスト教などに興味の無いかたは読み飛ばしてくださいませ。(笑い)
(2007/8/26 下記一部文章補正、出拠先リンク修正。)


『明日はどうなる』?

を輝峰(きほう)は潜在的に意識して、感じたまま、写真を撮っています。

仏教、儒教、キリスト教は、すこしずつ言っていることが違いますね。
皆様はどの考え方に共感されるでしょうか。
⇒下記ご参照



これから先、あと、何年生きれるか、厚生労働省の、

平均余命

では私は、あと20年? これから先、何が起きるのか、
不安もありますが、楽しみでもあります。



******************************
「仏教」
『諸行無常』
(しょぎょう むじょう) ⇒ (仏教) 「釈迦三法印」・・・・・
『諸法無我』(しょほう むが) ⇒ (仏教) 「釈迦三法印」・・・・・・・・
『涅槃寂静』(ねはん じゃくじょう) ⇒ (仏教) 「釈迦三法印」・・・・・

『諸行無常』 とは、ものでも、こころでも、現象がすべて時々刻々に変化して、
少しもとどまることがないということで、ひとは現実のはかなさを直視すべきである。
人は死ぬものとわかっていても自分が死ぬとはなかなか思えない。
だから、いざ死が近づくと人は恐怖にさらされる。そこで、死が苦となる。
無常であるものが無常と知られないところに苦があると説く
(出典:「仏教とはなにか」 大正大学仏教学科編 大法輪閣)

”祇園精舎の鐘の声…”、琵琶法師の平家物語みたいな、
”わび”、”さび”の日本人の情緒的「無常”
”」と
仏教の、ものごとの真理、本質を説く「無常”
”」とは、
全く違うのですが、日本人には間違いやすいですね。

『諸法無我』とは、すべてのものに永遠に変わらない実体、本体は無い。
引用例:『スッタニパータ』:「なにものかをわがものであると執着している人々を見よ。
彼らのありさまはひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。」
書籍 出典「15 仏教とはなにか その思想を検証する 大法輪閣 大正大学仏教学科 P22L14」
書籍 出典「20 ブッダのことば 岩波文庫 中村元訳」P175L14.(七七七番)。

別の言い方をすれば、
」無くして、まわりから独立して存在する不変的なもの、(「我」、「自性」、「アートマン」)は、無い。
釈迦縁起説。釈迦の一番根本的基本の説。
と、輝峰(きほう)は領解(りょうげ)させて頂いております。
引用1(出典:小川一乗著、「大乗仏教の根本思想」宝蔵館)。
これを素直に受ければ死んでも輪廻転生していく霊魂みたいな
不変的存在は無いということになりますね。

ご参考:『仏教青年Q&A』:六道輪廻と浄土について。 『真剣に考えよう』:仏教に学ぶ


『涅槃寂静』とは、上記、『諸行無常』、『諸法無我』を悟るものは、苦滅し、やすらぎを得る。
煩悩に二度と惑わされることは無い。


******************************
「儒教」

  
『日日新たなり』 引用2(積極的に自身の徳を日日磨き、民も感化させようという儒教的な文言)、
引用3、 引用3-1(「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」、出拠:『大學』「第四十二」)
⇒ (儒教)出典:『大學』・・・・・は輝峰(きほう)は、潜在的に意識して写真を撮っていません


******************************
「キリスト教」
『明日のことを思い煩うな』 引用4(それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、
何を飲もうかと、自分の命のことを思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことを思いわずらうな。(中略)
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか) 
⇒ (キリスト教) 出典:「聖書」(マタイ6・26〜34)・・・は、輝峰(きほう)は潜在的に意識して写真を撮っていません

「ニーバの祈り」
ラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr) :(初版の詩大木英夫)、
(英語には色々の版があるが初版の方を、和訳は輝峰(きほう)の気に入った方を選択) 2008/3/13補記
God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
courage to change the things that should be changed,
and the wisdom to distinguish the one from the other.
主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける知恵を我に与え給え。


上記の名言はいずれもみな素晴らしいですね。
すべて大切にしたい言葉です。


******************************
「親鸞」 
親鸞、九歳、得度(とくど:僧侶になる儀式)のときに詠んだと云われる句 :

「明日ありと 思う心の あだざくら

夜半(よは)にあらしの
吹かぬものかは」


引用5 :(引用始め)⇒「諸行は無常であり、明日のいのちの保証はない」、
得度を控えた範宴(後の親鸞)9歳時、得度の準備が遅れて夜になったため、
「得度は明日にしたらどうか」と気使う青蓮院・慈円に対し、
「明日が計画どおりになる保証はないのだから、すぐに得度したい」という
思いを込めて歌が詠まれた(もしくは以前からあった歌を詠まれた)。(引用終わり)


******************************

『明日はどうなる』?

話は、もとに戻りますが、結局、輝峰(きほう)は、
写真を撮りたいと今思っているなら、「今しかない」、
との潜在的な意識で写真を撮っています。

輝峰(きほう)の写真を撮るという行為が、
「釈迦三法印」を、こころの深層に自然に表現されていることに
いつかはなれるのでしょうか。
私にはわかりません。
そうなれるとうれしいです。
(2007/8/26-24:07am)


堅苦しいことですみません。
南無阿弥陀仏、 合掌
輝峰(きほう)でした。

******************************

以上


もしよろしければ、  もし宜しければ拍手やご感想をお願い申し上げます  を、お願い申し上げます


輝峰(きほう)の 輝峰(きほう)のトップページに戻る トップページに戻ります。