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 当該のページは、 0007618番目 (2009/03/06~) 更新日(2009/03/11) 『 kiho-P127
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歎異抄  (歎異鈔)(たんにしょう)

この書物はすごく短い(A4、たった数ページ)ですが、読む側の人間の、年齢層、人生経験、宗教などの勉強、自己のこころの奥底を内観する深さ、などにより、いろいろ、読書後の感想が変わってきます。難しい書物ですね。

歎異鈔関係の解説書は、図書館や、いろいろな出版社のが売られています。

私も父の死後、この本とご縁ができて、30歳代、40歳代、50歳代、60歳代、と読んできましたが、感想がどんどん変わってきました。

実際は、この書物自体はすごく短いのです。

持ち運びし易いように、PDF形式でアップしました。

解説書の方は、各位、図書館、出版社の本などでお読みくださいませ。



1. 『歎異鈔』縦書き(PDF) : A4-5枚 (237KB)

   (文頭序文の漢文は白文と日本語読み下し文付き)


2. 『歎異鈔』横書き(PDF) : A4-6枚 (80KB)

   (文頭序文の漢文は白文と、返り点、送り仮名付き、日本語読み下し文付き)



ダウンロードPDFのメモ

彩色は、一般に知られている有名な箇所や、私が、30歳代~60歳代の間に、こころを惹かれた文に彩色しました。

しかし、ひとにより、体解(たいげ)、学解(がくげ)も異なるし、また、そのひとの加齢、人生経験などにより、受ける理解や、感動の深さも変わってゆく書物です。

みなさまも、上記 2.の最後に記載されているURLからダウンロードされて、皆様ご自身のこころひかれた箇所に彩色されると、加齢とともに見直されていけば、線の箇所が変わっていくことに気づかれると思います。

ひとによっては誤解されかねないところもあり、本願寺では永く公開されなかった理由もよく理解できます。

この著者については諸説あり。現時点、親鸞聖人の弟子の唯円(ゆいえん)との説が有力。

唯円もふたり居るが、どちらか、または、同一人物なのか、も不明。

世界的にも有名な著作物(本当かどうかわかりませんが、世界で、キリスト教のバイブル(新約旧約聖書の次に読まれている書物との文を読んだことがあります)なので図書館にたくさんの『歎異鈔』の解説書があります。ご参考までに。

解説書にも、いろいろあります。解説書の著者のなかには、
    ・宗教学者系 (浄土真宗系、および、他宗系、および、仏教系以外の宗教学者等々)
    ・一般の宗教哲学者系、西洋哲学者系、
    ・一般の知識人(小説家、個人ホームページ等々):

信心を求めてこの書物を読もうとされる方に対しては、親鸞聖人研究の800年間の浄土真宗学として、異安心(いあんじん:親鸞の真意から信心の考え方がずれているのでは思われる方)となるのを避けることも、この書物を読む上で大事なことかと思います。

親鸞の学問として、また、求道(ぐどう)のために、この書物を読まれる方以外の方にはあまり問題とならないのかも知れません。

この書物を、学解(がくげ:学問として理解する)か、体解(たいげ:宗教的体験として理解する)か、ともに大事なことと思われます。

体解だけでも理解できるが、学解無くして体解なしとも往々に言われます。このことが正しいかどうかわかりません。妙好人(みょうこうにん)などの例を見ると信心を得るのに学問は必要ないような気もします。

宗教的体験としての信心、浄土真宗では、自分が阿彌陀如来を信じる(自力(じりき)で)とは言わないで、信を獲(え)る (他力なので阿彌陀如来より信を頂くと表現します。私に信心のこころを起こさせるのは私ではなく阿彌陀如來のお仕事と考えます。)についての宗教的体験、信心としての、回心(えしん)も、たった一度の回心、その一瞬(頓悟)で感じるのか、徐々に(漸悟)、日々の生活をしながら、また、南無阿弥陀仏を称えながら、感じていくことなのか、も、ひとによっても思いが分かれるところかと思います。

しかし、学問として読まれる方には、できたら、浄土真宗(本願寺派、大谷派など)の学者によって書かれたものの方が一般的学者の著作よりも参考になります。数百年の学問としての伝統がありますので。

どう受け止めるかはひとそれぞれ。勉強、体験、加齢ごとに、あじわいも変わってくることを、ご自身で、ご確認くださいませ。



個人的メモ:

私は父の死を契機にこの書物にご縁ができ、当時30歳代でしたが、この歎異鈔を読んで、30歳代当時の私の常識からは、まったく外れている箇所が何箇所もあり、私にはとても受け容れることはできず、頭にきて破り捨てたくなった記憶があります。

何十年か経って母の死が近づいたころ、母の意識が回復している時間に、ベッドのそばで、この歎異鈔を母に読んで聞かせたことを思い出しました。

この『歎異鈔』は小さくプリントすると、A4サイズ2~3枚(裏表印刷、片面で計4~6ページ)と小さくなるなので、それを四つに折りたたんで、常時携帯するほどの書物になりました。

私は、この歎異鈔を読むことにより、人生の苦しみから随分たすけられました。 私にとってこの書籍(A4×裏表印刷の2~3枚常時携帯)の書かれていることばのひとつひとつが座右の銘であります。

定年後、仏教関係の学生、院生になり、真宗學、仏教學と、学ぶにつけ、味わいも、今なお、変わりつつある不思議な書物、『歎異鈔』であります。

ご参考:私が現在読んでいる仏教関係の書籍です。

この、意味深き書物の故、皆様のご参考のなればと思い、この「輝峰(きほう)のホームページ」にアップしました。



                                      2009 (H21) /03/11 補筆。


                                                    以上


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