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 当該のページは、 0008981番目 (2003/10/12~) 更新日(2006/04/20) 『 kiho-P066
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『カトリック相模原教会の あゆみ』

相模原教会30年間(1973~2003年)のあゆみ
「若い木」(創立三十周年記念号)(通巻第83号)より抜粋。


写真は本日の教会の撮影分です。挿絵代わりに挿入いたします。
(撮影データ Coolpix 5700 FINE モード、FULLサイズ)








(下記はフラットベッドスキャナーからOCRソフトで文字認識して
誤認識文字を手入力にて修正したものです。)
(一部割愛 2003/10信徒会会長ご承諾)
2005, 2006年 の一部追記 輝峰(きほう)2006/4/20
    (創立三十周年記念号)(通巻第83号) 2003年9月14日発行
年次    
1968 アトンメントのフランシスコ会(ニューエル神父)により土地が購入される。
1970 原町田教会相模原地区として第1回家庭集会が行われる.指導司祭藤井神父(5月)
1972   相模原分教会の構想が固まり、バーク神父(当時、高輪教会助任)の赴任が内定(1月)
教会建設予定地で第1回、野外ミサが行われ(6月)、工事業者との工事請負契約締結。(1月)
当教会初代役員会が発足し、木下会長、栄副会長、笠作総務、他7名の役員が選任される。
1973    当教会の保護の聖人として、日本26聖殉教者の「聖ルドビコ・茨木」が選ばれる。(1月)
新教会の建物が竣工(3月)、バーク神父が高輪教会より赴任され新教会で初ミサが行われる。
ご復活の大祝日に荒井司教様により、カトリック相模原教会の献堂祝別式が行われ、この時から、町田(96名)、大和(6名)、津久井(10名)、八王子(20名)の各教会所属信者が移籍し、横浜司教区の小教区として発足。(4月)
第1回教会バザーが開催される.(10月)
1974  教会報「若い木」創刊号発行 (6月)
第1回堅信式が荒井司教様により行われ、18名が受堅する。(11月)
1975 第2回ルドビコ会総会で、第2代役員会の笠作会長、小野副会長、その他の役員が選任される。
1976  ご復活の大祝日にマリア像除幕される。(4月)
初の教会運動会行われる.(10月)
1977 日本基督教団相模原教会と第1回合同祈祷会が行われる。(1月)
新聖堂建設気運が盛り上がり、建設委員会が発足。6名の委員が選任される。(7月)
1978  ルドビコ会の臨時総会が開かれ、教会建設計画の大網が決まる。(9月)
初の教会一泊旅行が行われ、箱根方面に行く。(11月)
1979 聖母被昇天の祝日に初の教会納涼盆踊り大会が行われる。(8月)
1980  濱尾司教様より21名の堅信式が行われる。(6月)
新聖堂建投工事契約が締結され、地鎮祭を施行(9月)
1981 濱尾司教様の司式により、聖ルドビコ茨木新聖堂の献堂式が盛大に行われる.(3月)
1982 ルドビコ祭の日に、バーク神父の叙階25周年の記念ミサが行われる.く2月)
1983   若い木10周年記念号発行
バーク紳父の後任の主任司祭として原木神父着任
新教教会との合同映写会を実施し、201名が鑑賞する。(11月)
1984 連合婦人会による「講演会」開催。講師 デーケン神父。(7月)
1985 合同映画会で「プラザーサン・シスタームーン」が上映された.(6月)
原木師、東アジア地区青少年大会出席のためインドへ出張(7月)
1986     会則が変更になり、理事会という呼称が役員会となる。(1月)
合同祈持会が10回目を迎える.(1月)
主任司祭の異動があり、マキシム神父が着任する。(4月)
若い木臨時増刊号を発行。マキシム神父指紋押捺拒否について特集する。(6月)
マキシム神父、在留期限更新手続きを行い、3ケ月間延長される.あわせて、指紋押捺拒否問題で中曽根総理大臣に手紙を出す」(9月)             ・
1987 横浜教区の浅尾司教様並びに司祭,信徒有志一同の名で、法務大臣、外務大臣宛に陳情書を提出。国の方でも外国人登録法の改訂作業が進められる.(2月)
大野台・相模原市南部地区の所帯数が多くなるなどの理由から、地区長会議が開催され、地区割りが一部変更され、相模原南地区ができる。(6月)
横浜教区50年という節目を迎え、福音宣教についての「呼びかけ」が行われる.(10月)
第1回福音宣教推進(NICE I )県央地区大会が、大和の聖セシリア学園で開催される。(10月)
1988 津久井教会の献堂式が行われ、その後津久井教会への巡礼が行われる.(5月)
マキシム神父、法務大臣により在留特別許可となる(11月) 
1990 「家庭」をテーマに、NICEⅡの運動が始まる。
1992 第20回バザー開催される。(5月)
若い木50号発行(8月)
1993 これまでのバザーに変わって、第1回教会祭という形で、内容を広げて実施される。(6月)
司祭館・信徒館の建て替えを検討するため建設検討委員会が発足する。(7月)
若い木20周年記念号発行される。(12月)
1994 主任司祭の異動があり、上原神父が着任する.(4月)
教区により、隣接する土地・建物が購入される。
建設に関してのアンケート調査が行われる。建設検討委員会(12月)
1996 建設検討委員会が、実行組織として木下委員長のもと、「建設委員会」に改められる。
正義と平和協議会全国集会が、東京カテドラルで行われ、教会から4名が参加する。(10月)
1997 教会建設資金の献金が開始される.(5月)
横浜教区平和旬間「平和の祈り」が、聖セシリア女子短大で開催され、教会から多数が参加。分科会・全体会での討議の後、司教様によるミサに参加。(8月)
1998 教会会館建設の参考に、近隣6教会を訪問し、意見を聞く。(5~6月)
別館建物の撤去と駐車場の整備を信者の協力により実施する。(11~12月)
2000 司教職着任後、初めて梅村司教様が当教会を訪れる。堅信式を行う。(3月)
主仕司祭の異動があり、千葉神父が着任する。(4月)
教会祭を最初の形式に戻し、第28回バザーを行う。(5月)
大聖年の特別行事として、3回にわたる講演会の実施などを行う。(7・9・11月)
横浜司教館建設のための寄付金献金目標額を達成し、終了する。(12月)
第1回クリスマスフェスタが行われる。(12月)
2001 信徒館建設に向けて、アンケート調査、数回の「分かち合い」を行う。
2002 地区長会を役員会パートナーとして位置づけ、「私の気になっていること」をアンケートし、改善策を検討、2ケ月に1回、役員会の前に地区長との合同の会を行う。
日曜日の「お知らせ」を印刷し、毎週配布。ミサ録音テープの作成を始める。
2003 千葉神父が、津久井教会兼任となる・東京教区の国枝神父が毎月の応援に来る。(4月)
「若い木」83号(30周年記念号)発行。(9月)
   
  (以下は輝峰(きほう)追記)
2005 千葉神父後任《横浜教区》(3月28日付)相模原教会主任(横須賀三笠教会主任)木村孝神父 
2005 新 信徒館落成 落成式 2005/10/16開催
2006 第33回バザー 5月21日(日)開催予定
   









『カトリック相模原教会』

神奈川県相模原市矢部 4-13-1

電話 042-755-9318




                                                    以上


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